「八月のこどもたち」が足立区にやってくる2015-08-09

「八月のこどもたち」それは、如月小春が残した一冊の本。
'91夏の中学生たちとのワークショップの記録。

劇団NOISE主催の如月小春ファンだった私は、この本を見つけ、すぐに購入した。
八月になると、時折、読みたくなる、私の中の大切な本のひとつだ。
一昨年には、中二で八月生まれの姪二人に、この本をプレゼントした。
それくらい好きな本なのだ。ピンクの装幀もかわいい。

夏休み期間中に、如月小春と中学生が一つの芝居を作り上げた記録。
作・演出はもちろん、如月小春。作品「夏の夜のアリスたち」。
一般公募で集まった中学生たちと、彼女とNOISEの若手俳優たちとの夏の記録。

最後には子供たちから「魂のかけらみたいな花束を受け取る」如月小春。
その表現に魅了されている。

そんな作品が、今では色あせてきた「八月のこどもたち」発行は'95なのでちょうど20年が、今、よみがえる。いつか書いたブログ記事をきっかけに、当時、ねむりひめを演じた中学生と知り合いになった。ねむりひめは今、立派なママになっている。そんな時を越えてよみがえる。
ローカル新聞にその記事はあった。
トップバッターは足立区立中学校演劇選抜対による「夏の夜のアリスたち」in 北千住。キター。 いろんな中学から集まったこどもたちが、夏休みの終わりに、発表する「夏の夜のアリスたち」。
公演日は 2015.08.27 平日だけれども、これは観させてもらいます。

晩成書房さん、この名作、当日、現地販売するべきだと思う。

七五三と千歳飴2014-11-16

千歳飴にもいろいろあるもので、実家の大きな神社は熱田神宮。
熱田神宮

そして近所の神社は千住神社。
千住神社
ここで、祈願してもらいました。
祈願
そして最後はスタジオアリス。
アリス
写真撮ってもらいました。
753



花子とアンを見ていて書きたくなったコト2014-09-19

写真には 88.9.10 とある。
その少し前のこと、大学生にもなって赤毛のアンを読んだ。
原書ではなく、新潮文庫の村岡花子先生訳のそれ。
そして、お気に入り。プリンスエドワード島にまで行ったのだった。

PEI

そんな具合ですから「花子とアン」は当然、見ている訳です。
訳してくれてありがとうと思う訳です。

さて、名訳つながり。
年代を感じされる色合いになってひょっこり出てきたこともあり、
この本のことを書きたくなったのです。
「ママ・アイラブユー」
ママアイラブユー日本語

ここに出てくる主人公の少女は「かえるちゃん」とか大人びたことを言うときは「ニジンスキー夫人」とかいろいろな愛称で呼ばれるのですが、twinkを「キラキラヒメ」と訳したのは岸田今日子さんとのこと。
すばらしい。
さらに気に入ったのが「ママガール」。
いったい、ママガールは翻訳なのかどうか、いまどきだったら、ママちゃんだろうか。
でもこの作品にはママガールがぴったりなママガールなのだ。
そこで原書を入手した。

ママアイラブユー原書

さて、ママガールの原文は?
読書の秋は原書に挑戦か?いや、再び名訳を楽しもう。

五歳になる年の父の日2014-06-15

母の日に幼稚園で作ってきたマグネット。
パパの顔。
母の日
父の日に幼稚園で作ってきたマグネット。
ママの顔。
父の日2
というわけで、二つあわせて……
父の日

五歳になる年の五月五日2014-05-05

新幹線
朝食にお魚を朝いただいた。
一歳児にはほぐした魚肉をご飯に混ぜてあげた。
四歳児には大きな骨だけとって、あとは任せて食べさせた。

そして、五歳になる年の五月五日の思い出が作られた。

四歳児のノドに小骨が引っかかったらしい。
「痛い。痛い。ノドに引っかかった」
泣きわめく。

ごはんを丸呑みさせるも、だめ。その後の検索結果で、それは邪道だと知る。
そのうち取れると放っておくのもよくないらしく、耳鼻咽喉科にみてもらうのが一番よいらしいことが分かった。

今日は祝日、こどもの日。病院は休みが多い。
医師会で休日当番制があるらしく、亀戸の隣の平井まで行くことにした。

やっている病院が少ないのだから混んでいる。2時間強待ち、診断してもらった。
骨らしいものは見えたらしいが、四歳児の激しい抵抗で、それが骨かどうか見極められない。骨だったら2、3秒じっとしてもらえれば取れるというのだが、じっとしていられないため、先生もお手上げ。小骨はそのままとなった。

先生曰く、痛みが続くようなら明日の当番の医者に診てもらうか、水曜日に近所の耳鼻科に行くかしてください。ごはんを食べていると自然に取れることもよくあるとのことで、化膿止めの薬を出してもらって終わった。

本人も、ノドにピンセットを入れるくらいなら、今の痛みを我慢するというので、帰宅することにした。途中、また「痛い。痛い」ということもあったが、病院行く?と聞くと、行かない答える。仕方ない。

しかし、何が思い出かと言うと、上記もそこそこ思い出なのだが、泣きわめくことばの中に。
「助けて。助けて。」
「どうして助けてくれないの。教えて。」
と悲痛な叫びがあったことである。

何もしてあげられないのだよ。

※絵ははじめて、それっぽく描けた新幹線。